Paisley Poodle Records

音楽制作系の雑記・備忘録 etc...

異文化、多様化。

今回の雑記はクリエイターとエンジニアの差異に関する僕の意見です。

 

僕は現在1人体制で音楽の制作を行っています。僕に限らず、パソコンのスペックが上がり続け、必要最低限の機材も安いものが増えてきた現在においては珍しいことではないと思います。僕のように完全1人体制とはすこし異なりますが、ベッドルームというチープな環境で製作し、それを物ともしないクオリティの楽曲を世に送り出し、グラミー賞を受賞した兄妹も話題になりました。

僕がTwitterでフォローさせていただいている方々の中には音楽関係の仕事をされている方が大勢いて、中でもエンジニア側の方が多いです。なぜそうしているかというと、エンジニアリングには専門的知識を基にしたセオリーがいくつもあり、座学的に学ばないとわからないことが多いからです。一口に「エンジニア側」とは言ってもそこにはいろいろな考え方があって、日々議論のようなものが起こったり起こらなかったりしていますが、それらを眺めていると、小難しい事は考えずにモノを生み出したいというクリエイターとの差が浮き出てくるように見えるのです。

前述したように僕は1人で制作を行っているので、どちら側の考え方も自分の中にあって、日々それらのバランスを取るのに必死になっています。

月並みな表現ではあるでしょうが、クリエイターは0を1に、エンジニアはその1を2へ、3,4,5...と上げていく役割にあるのではないかと思います。ここで申し上げておきたいのは決してこれは優劣の話ではなく「役割」の話だということです。

バランスを取る、といいましたが僕はどちら側の考えも中途半端ながらにもわかる為、悲しいかな、純粋なクリエイターでもなければ、純粋なエンジニアでもないのかもしれません。

僕が好きなクラシックロックといわれる音楽の時代は、制作はキッチリと分業されていたようです。コンポーザー、リリックライター、(あるいはどちらも兼ねる人)アレンジャー、プレイヤー、レコーディングエンジニア、ミキシングエンジニア、マスタリングエンジニアなどなど。

今日音楽を聴くとなるとどうしても目立つのはミュージシャンになりますが、彼らを前に押し出す"縁の下の力持ち"として確かに数々の名エンジニアが存在しました。その中には現在も最前線で活躍している方もいます。

The BeatlesのGeoff merickやT.Rex, David Bowieなどを手がけたTony Viscontiの自伝を読んでみて「やっぱり当時からそうだったのか」と腑に落ちたのは、クリエイター(コンポーザー)は自分が表現したい事を実現するために基本、所謂“無茶振り”で、エンジニアはそれに知識や経験や技術を駆使してそれに応えてきた歴史があったということです。

楽器を演奏するということは基本的にはシンプルな行為だと思います。

それらを合わせて演奏する、つまり合奏する。ここまではやはりシンプルなことだと思います。そこに作曲が伴うと複雑になってくるかもしれませんが。

エンジニアはそれらを適切な機材を選んで録音し、編集し、まとめる。そこからは理屈や専門的知識と技術が必要で、イメージだけで取り組めるものではないでしょう。

クリエイターとエンジニア、その間には大きな溝があるように思います。クリエイターは作っている最中に今頭の中にあるイマジネーションやビジョンが実現できるのか否かを考えていたら保守的にならざるを得ず、リスナーをハッとさせるような作品を作るのは難しくなるでしょう。なので無茶振りが増えてしまうわけですが、そんな彼らがいるからこそエンジニアという仕事があるのだと思います。例えば僕の場合で言うと、ミキシングをしようと思っても素材がなければそれはかないません。同じようにマスタリングをしようと思ってもミキシングされた2Mixがなければできません。

ジェフエメリックの自伝でとても印象に残っているエピソードがあります。

かのジョン・レノンがヴォーカルを2テイク取るのが面倒だから1テイクのものを然も2テイクを重ねたよう聞こえるようにしておいてくれ、と言われて当時の録音媒体であったテープマシンに改造を施し、実際にそれを実現したというもの。そしてそれ以降、主な方式がデジタルに替わりながらも現在まで使われ続けている定番のテクニックとなっています。

エンジニアと言う職業は、日本でいう職人に似ていると思います。彼ら・彼女らは多少理屈っぽくて(当然だと思いますが)自分のこだわりが確固たるものとしてある方が多い傾向にあると思います。そしてその色が売りになる。SNSというツールは理屈っぽい方々にはとても良いツールだと思います。日々の仕事の中で確立されていくものを世界に向けて発信し、議論を起こし、見聞を深めることもできるでしょう。しかし、その副作用として輪をかけて理屈っぽくなってしまう方もいるかもしれません。

一方クリエイター側は理屈をこねている暇があるなら日々浮かんでは消えていくイメージを具現化する時間にあてたほうがいい。

こうして両者の溝は深まっていくのだと思います。

その溝をフラットにしていきたいというような不届きな考えは特にありませんが、互いの考えが先鋭化していった先に良い事はなさそうな気がします。クリエイター側だって、いくらすごいアイディアがあっても、エンジニアリングの知識がないのならそれがある方々に依頼するしかないのですから。

お互いが歩み寄れる道があるとするならば、それはやはりリスナーのことを考えることなのではないかと思います。共通の目的があるなら、多少お互いに思うところはあれども協調性を保ってより良い音楽を作っていくことができるはず。そしてそれが1番Happyです。

なので僕は自分が思ういい曲を作りつつも、クリエイター的な自分、エンジニア的な自分のバランスを取る感覚を研ぎ澄まして、いずれは双方をシームレスに行き来できるようになりたいと思っています。