Paisley Poodle Records

音楽制作系の雑記・備忘録 etc...

お久しぶりです。新曲出します。

 

みなさまご無沙汰しております。

まず、何よりも先にお知らせさせていただきたいのは…

 

この度、私 Joe Isa 新曲をリリースさせていただきます!

 

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気付けば前回のリリースから(下記リンクからご視聴いただけます。)

 

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一年以上が経過しています。早いのか遅いのか、というような感覚です。

この空白の期間、もちろん僕は生きながらえていたわけですが今回の新曲をずっと作っていたわけではありません。

あれからもボーカルトレーニングは続けてきていて、ようやくそれなりに少しの上達の実感を得ています。

しかし、やはり6、7年ほどずっと続いている手根管症候群は相変わらずで、かねてより通っていた病院にまた改めて通うことにしました。しばらく通院をやめていたため、まずは検査ということになりました。結果はやや悪化しているとのことで、ついに手術をすることになりました。まずは利き手ではない左手からです。

部分麻酔で一時間弱の手術。麻酔の注射が痛かったです。そして一泊の入院をし、退院。全快までは半年〜ということで、今はその術後の期間中です。

 

今回の曲は衝動的に作り始めて、結構ハイペースに作り上げた曲です。もちろん努力やコツが試されるようなポイントもありましたが…。

しかし現在の自分の能力や、ここ数年の様々な音楽体験を受けてのものを出し切れたと思います。

 

自分的にはこの後に控えている右手の手術前にリリースすることが出来て本当によかったです。ということで、是非とも聴いていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

今回もいままで同様、3/25より各サブスクリプションサービスより配信開始です。

 

 

弁えるということ。

久しぶりの投稿になります。前回の投稿のときとは世界の有り様が変わってしまったように感じます。皆様も少なからず何か日頃の考え方の根底が揺らいでしまっていたりしているかもしれません。今のこの現代には本当に安定しているものなどないのかもしれません。

僕自身も寒い間に体調を崩してしまい、低空飛行の生活というのか、なかなかに質の低い、実りのない日々を送っておりました。

体調を崩した原因は顎関節を傷めてしまったところにある気がしています。前回のリリースからしばらく時間が経っているし、いまはこの「文章」というものでしか自分の状況を言い表せる手段が思い浮かびませんので少し書いてみようと思った次第です。

 

前回のリリース曲である「最後の砦」

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は、リリースする大分前から曲はできていて、歌詞も苦慮を強いられたものの完成はしていたのです。しかしそれを自分が納得のいくように歌うことができずにずっと燻っていました。僕は何か特定の楽器演奏に長けているわけでもないし、歌唱に関しても同じです。これまで様々な形で曲を作ったり、うまくいけばリリースしたりしてきましたがいずれもそのときの自分ができる限界点、逆に言えば最低限これくらいできていれば…というような妥協点を目処にして作品を完成、とみなしてきました。

 

その閾値を超えられないのが僕自身の歌唱力だったわけです。その事実に直面して考えたのは「急がば回れ」ということで、早速僕は自分の現在の歌唱力を踏まえて本格的にヴォイストレーニングを始めたのです。といっても例によって例のごとく独学で、ですが。

 

まず、信頼できそうな情報を発信しているボイトレ系のYouTuberを漁り、早速毎日やることを推奨しているメニューをこなしていきました。その結果、なのかは不明ですがなんとか件の曲を録り終えることができました。そして無事リリース。しかし、何か引っかかる。いまいち実感が伴わないというか。(ヴォイスorヴォーカルトレーニングというものは往々にしてそういった類のもの様で…)なので僕はリリースを終えてからもずっと毎日のメニューに取り組んでいたのです。

 

そんな中観てしまったDisney+で配信されたThe BeatlesのGet Backでのルーフトップのシークエンス。I've Got A FeelingのPaulのあの獣の咆哮の如きシャウト。僕は改めて衝撃を受けた直後に、外国人とはいえ何故こんなにも自分と違うのかとやりきれない気分がこみ上げてきました。そりゃ僕だって知ってはいます。ざっくりといえばハンブルグでの下積みから、そこまでのキャリアを。僕はちょっとした癇癪持ち体質なので頭ではわかってはいても、必死こいて理想を追い求めて毎日頑張っているが、実感も不透明なままに過ぎていく毎日を送る自分に感情的になってしまい、彼のそれを自棄になって力任せに真似てみたのです。

 

その結果、顎関節に「ミキッ」と嫌な音がして、そこから数週間ひどい頭痛に苛まれることになってしまいました。気持ちの上でもなんだか僕は自分がとても情けなくて、惨めになって先述した「実りのない日々」を送ることになったわけでした。振り出しに戻る、とまではいかないものの何コマも戻る羽目になったようで。

 

弁える、なんてことは日本人が美徳として大切にし過ぎているせいでいまやそれは暴徒のようになってあらゆる場所で暴れまわっているように見えてあまり好きではないのですが、ときには冷静に暴徒と化す前の本来の意味を考えて柔軟に自分の中に取り入れるべきだと思いました。ふと気づけば僕はもう若者とはいえない年齢に差し掛かっているので何かの機会があるならばそこから学べることを、そのときの自分にできる限り最大限学んでいかなければならないと心がけて日々を過ごしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

 

去年は今までで一番年末感のない年末で、年を跨いでもその感覚はなんら変わらないままです。その感覚をあえて言葉にしてみれば「明けた感のない年始」となり、わずかに変容した気もしますがその根本の質は同じでしょう。早々なんの話をしているのか自分でも意味不明です。

 

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昨年は後半にシングルを二枚リリースでき、そしてそれらは幸いにも自分史上一番人目に触れた作品となりました。物事を数値化、若しくはそれをデータ化してモノを判断して、それらをほぼ直接の評価と見なし、それが収入に繋がる、そんな傾向が見られる昨今において今回自分が得た数字など本当に少ないものだと思います。しかし、やはり僕個人の所感でいえば大きいことなのです。それもこれも僕の音源を聴いていただいている方々のお陰様です。ここに最大限の感謝を申し上げます。ありがとうございます。

 

この「明けた感のない年始」、もし「明けた感」があったのなら今年の抱負なんてものを考えて、大きな大きなネットの海にブログという波止場から叫んだりするのでしょうか。小中学生くらいの頃は新年一発目の課題として書き初めかなんかで書かされた覚えもありますがそのときの心境は語るべくもありません。一ヶ月も経たないうちにそれらは片付けられ、一部のいい子たちを除いて綺麗さっぱり忘れ去られる。やたら形式ばったことをさせられるがその中身は空っぽ。そういったことの延長線上にあるのが今の社会なのでしょうか。

 

そんな安っぽい厭世観のようなものは置いとくとして、とりあえず考えてみた抱負めいたもの。それは「ポジティブに自分のなんでもなさを受け入れる」ということです。”ポジティブに”というところがミソです。もっと簡単にいうなら「開き直る」みたいな感じになるでしょうか。年が明けて間もないの今だと字面だけみれば縁起がよさそうな気がしないでもないです。

 

自分は本当に気が弱く、神経質で、最近はついに妄りに人を恐れてしまっていることにも気づいてしまいました。いやはや情けない。しかしこの歳にもなればいい加減、基本的に人は独りでは生きられないということの意味が肌感でわかるようになってきます。じゃあどうしよう、僕なんぞお呼びでない人の中に無理矢理入っていけばよいというような単純なことでもないでしょう。

 

大多数の人と馴染めるように共通の話題を話せるようになろうか。そのために大人気YouTuberのチャンネル登録を早々に済ませて動画を欠かさずチェックし、大人気アニメを観に何度も劇場に通ってグッズを沢山揃えて、インスタ映えようか。そしていまやファッションのようになってしまったオタクを騙って、推しキャラを尊ぼうか。…あとは、何ですか。

 

こうして視野は狭まるばかり。そこで「ポジティブに自分のなんでもなさを受け入れる」ということで少しは楽にならないかなぁと思ったのかもしれないです。しかしそんなのきっと浅いし、甘いんだろう。しんどい。

 

今年という365日の間に何ができるのか・・・。漠然といろんなことが上手くいけばいいなとは思っていますけれど、こんなことではダメなんでしょうね。みなさんはもう明確になにか目標が見つかっていますか。

新曲『最後の砦』をリリースしました。

 

 

 

実は既に11月22日にはリリース登録は済んで、各サブスクリプションサービスにて順次視聴可能となっていきました。なのでこの題名の内容の記事も間を空けずエントリーする予定でいたのです。が、予定とはあくまでも予定でしかなく。

というのも玉石混交のサブスクリプションサービスの中でSpotify, Apple Musicに次ぐシェアを誇る(とされている)Amazon関連(Amazon Music,prime,unlimited etc…)での配信までのプロセスに問題があったようで、しかもその問題というのも僕自身が直接直せるものではなく、かつそれを直せる唯一のポジションにあるtunec○re(もしくはAmazon)の対応がかなり遅かったせいもあり、結局こういうタイミングでの新曲リリース発表となってしまいました。この気持ちが所謂”極めて遺憾”というやつなのでしょうか。

こんなにわかりやすくインディペンデントに活動している僕にも数は少ないながら大切なリスナーさんがいます。その中で音楽配信サブスクサービスが無数にある内、Amazonを選んで登録している人たちにすぐに聴いてもらえないやりきれなさは耐え難いものがありました。基本的に一部を除けば皆一様に忙しい。そんな方々の貴重な時間をもらって聴いてもらおうとしているというのに!

リリースをしたというお知らせをした中から、「Amazonでは聴けないの?」と返事が来たので、確かめてみればエラー。「じゃあAmazonで聴けるようになったら教えてね」と返事がきてから、僕は日に幾度もリンクを確認していましたが一向に直らない。tunec○reからの返信もこない。直ったのはもう半ば諦めかけていたときでした。一応、Amazonで聴けるようになったら教えて欲しいといってくれた方々にその旨を報告させてもらいましたが、そのときの何とも、えもいわれぬ後ろめたさといったら。もしかしたら聴いてくれていないかも、とまで考えてしまいます。しかし実際にそうだとしても一番の原因は配信のエラーなんかではなく単なる実力不足でしかないのですけれど。

とにかく今現在は以下のどのリンクからでも正常に聴けるようになっているかと思いますので、よろしければ是非聴いていただきたいと思います。

 

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今年は色々と機運の運びもあってか新曲を小気味のいいテンポでリリースすることができました。

↓こちらもまだ聴いていない方は是非!

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しかしどちらも下半期。上半期僕は何をしていたんだろう…。

 

 

 

日記を見返してみました。制作に勤しんでいたわけではなさそうですが、その代わりに今回の新曲に必要だったものを手に入れるためのことはしていたようです。ここでそのことについて詳しく語るとなると野暮な感じになりそうなので控えます。

とにかく、とにかく一度でいいので聴いてください。よろしくおねがいします。

そろそろ新曲リリースします。

 

はい、題名の通りです。

今回も自分で作った曲にマッチする被写体があり、そこへ行って写真も撮ってきまして、毎度毎度のPhotoshopで、加工も終わりました。

 

気づけば前回リリースした『いけるか今日』はもう7,000再生を超えました。(アナリティクスが分かりやすいspotifyのみの累計。他のサブスクサービスではほとんど再生されていない…)

これが良い数字なのか、はたまた良くない数字なのかは不明ですが確かに言えるのは当初の僕の予想をはるかに上回る数字であるということです。どこかで聴いていただいてる方々、ありがとうございます。おかげさまで、大体一日あたり100再生はほぼ下回りません。これは僕にとって大きなモチベーションを与えてくれるものでもあります。だので、近々リリースする新曲もたくさん聴いてもらえれば幸いです。

 

このエントリーの題名であるにも関わらずですが今回の新曲について、それを実際に聴いてもらう前に何か言うことは避けたいと思います。ある作品があって、それを五感で感じる前に何かその作品の説明のようなものをみたせいで、本来その作品に対して抱くはずだった印象を変えたくないからです。

じゃあ何を書こう、となっております。どうしよう。

 

この記事を書く前に何か一つ記事を書こうとしていたのですが、結局「下書き」のままとなっています。

そこで触れようと思っていたのは、僕のような"ど素人ブロガー"にはわからない"プロブロガー"のお作法があるということについてです。そのときに軽く調べた様子だと「あっ、ややこしそう」と思ってやめた覚えがあるので細かい内容は忘れてしまいましたが、とにかく一つ分かったのが何か画像を使用するにあたっては無断転載はご法度なのだそう。僕の場合DTMも楽器も画像編集も何もかも独学なので、その都度必要項目をネットで検索して学びつつやっています。

そしてその無断転載がいけないことだとわかってから、「あぁ、だからそうだったのか」となり、それというのは今まで上記の経緯で色々なブログや記事を見てきたけれど、思い返せば使用されている画像のテイストが似通っているものが多くて気がかりだったことと繋がったのです。

きっと、個人のブログで使用しても無断転載とならない、いわゆる"フリー素材"を駆使している方が多いからなんじゃないか、と。

もちろん、予算に余裕があるような方々は経済を回す意味でも有料の素材を使っているんだとは思いますが。…という「何を今更」と一蹴されそうなことに気がついたよ、ということでした。

 

となると一層、予算もチームもない僕のような"プロトーシロ"に許された道は極めてナローです。世知辛さを痛感せずにはいられません。

 

しかしそれに打ちひしがれていては何も出来ないので、今はとにかくリリースまでに必要なプロセスを着々と進めていこうと思います。

 

それでは皆様、もう暫しお待ち下さい。

 

異文化、多様化。

今回の雑記はクリエイターとエンジニアの差異に関する僕の意見です。

 

僕は現在1人体制で音楽の制作を行っています。僕に限らず、パソコンのスペックが上がり続け、必要最低限の機材も安いものが増えてきた現在においては珍しいことではないと思います。僕のように完全1人体制とはすこし異なりますが、ベッドルームというチープな環境で製作し、それを物ともしないクオリティの楽曲を世に送り出し、グラミー賞を受賞した兄妹も話題になりました。

僕がTwitterでフォローさせていただいている方々の中には音楽関係の仕事をされている方が大勢いて、中でもエンジニア側の方が多いです。なぜそうしているかというと、エンジニアリングには専門的知識を基にしたセオリーがいくつもあり、座学的に学ばないとわからないことが多いからです。一口に「エンジニア側」とは言ってもそこにはいろいろな考え方があって、日々議論のようなものが起こったり起こらなかったりしていますが、それらを眺めていると、小難しい事は考えずにモノを生み出したいというクリエイターとの差が浮き出てくるように見えるのです。

前述したように僕は1人で制作を行っているので、どちら側の考え方も自分の中にあって、日々それらのバランスを取るのに必死になっています。

月並みな表現ではあるでしょうが、クリエイターは0を1に、エンジニアはその1を2へ、3,4,5...と上げていく役割にあるのではないかと思います。ここで申し上げておきたいのは決してこれは優劣の話ではなく「役割」の話だということです。

バランスを取る、といいましたが僕はどちら側の考えも中途半端ながらにもわかる為、悲しいかな、純粋なクリエイターでもなければ、純粋なエンジニアでもないのかもしれません。

僕が好きなクラシックロックといわれる音楽の時代は、制作はキッチリと分業されていたようです。コンポーザー、リリックライター、(あるいはどちらも兼ねる人)アレンジャー、プレイヤー、レコーディングエンジニア、ミキシングエンジニア、マスタリングエンジニアなどなど。

今日音楽を聴くとなるとどうしても目立つのはミュージシャンになりますが、彼らを前に押し出す"縁の下の力持ち"として確かに数々の名エンジニアが存在しました。その中には現在も最前線で活躍している方もいます。

The BeatlesのGeoff merickやT.Rex, David Bowieなどを手がけたTony Viscontiの自伝を読んでみて「やっぱり当時からそうだったのか」と腑に落ちたのは、クリエイター(コンポーザー)は自分が表現したい事を実現するために基本、所謂“無茶振り”で、エンジニアはそれに知識や経験や技術を駆使してそれに応えてきた歴史があったということです。

楽器を演奏するということは基本的にはシンプルな行為だと思います。

それらを合わせて演奏する、つまり合奏する。ここまではやはりシンプルなことだと思います。そこに作曲が伴うと複雑になってくるかもしれませんが。

エンジニアはそれらを適切な機材を選んで録音し、編集し、まとめる。そこからは理屈や専門的知識と技術が必要で、イメージだけで取り組めるものではないでしょう。

クリエイターとエンジニア、その間には大きな溝があるように思います。クリエイターは作っている最中に今頭の中にあるイマジネーションやビジョンが実現できるのか否かを考えていたら保守的にならざるを得ず、リスナーをハッとさせるような作品を作るのは難しくなるでしょう。なので無茶振りが増えてしまうわけですが、そんな彼らがいるからこそエンジニアという仕事があるのだと思います。例えば僕の場合で言うと、ミキシングをしようと思っても素材がなければそれはかないません。同じようにマスタリングをしようと思ってもミキシングされた2Mixがなければできません。

ジェフエメリックの自伝でとても印象に残っているエピソードがあります。

かのジョン・レノンがヴォーカルを2テイク取るのが面倒だから1テイクのものを然も2テイクを重ねたよう聞こえるようにしておいてくれ、と言われて当時の録音媒体であったテープマシンに改造を施し、実際にそれを実現したというもの。そしてそれ以降、主な方式がデジタルに替わりながらも現在まで使われ続けている定番のテクニックとなっています。

エンジニアと言う職業は、日本でいう職人に似ていると思います。彼ら・彼女らは多少理屈っぽくて(当然だと思いますが)自分のこだわりが確固たるものとしてある方が多い傾向にあると思います。そしてその色が売りになる。SNSというツールは理屈っぽい方々にはとても良いツールだと思います。日々の仕事の中で確立されていくものを世界に向けて発信し、議論を起こし、見聞を深めることもできるでしょう。しかし、その副作用として輪をかけて理屈っぽくなってしまう方もいるかもしれません。

一方クリエイター側は理屈をこねている暇があるなら日々浮かんでは消えていくイメージを具現化する時間にあてたほうがいい。

こうして両者の溝は深まっていくのだと思います。

その溝をフラットにしていきたいというような不届きな考えは特にありませんが、互いの考えが先鋭化していった先に良い事はなさそうな気がします。クリエイター側だって、いくらすごいアイディアがあっても、エンジニアリングの知識がないのならそれがある方々に依頼するしかないのですから。

お互いが歩み寄れる道があるとするならば、それはやはりリスナーのことを考えることなのではないかと思います。共通の目的があるなら、多少お互いに思うところはあれども協調性を保ってより良い音楽を作っていくことができるはず。そしてそれが1番Happyです。

なので僕は自分が思ういい曲を作りつつも、クリエイター的な自分、エンジニア的な自分のバランスを取る感覚を研ぎ澄まして、いずれは双方をシームレスに行き来できるようになりたいと思っています。

勇気が足りないのかなんなのか…

こんにちは。ご無沙汰しています。

おかげさまでJoe Isaの楽曲、二曲はSpotifyだけで見ても累計で4,000再生に迫っています。たくさん聴いていただき本当にありがとうございます。

Spotifyの一部の表示ではそのトラックの再生数が表示されるのですが、細かく(一の位まで)再生数を見たいならば、まずは1,000再生以上されないといけません。1,000以下は、[ < 1,000 ]のように表示されるので僕はそれを勝手に’’千の壁’’と呼んでいます。それを初めて越えることができました。素直にとても嬉しく思います。本当に本当にありがとうございます。

 

さて、現在の僕の活動としては今まで自分でも飽きるくらいにこねくり回し、煮えたぎりまくっている、まだ世に出ていない曲たちに歌を入れるという作業に取りかかるところです。その曲たちへの歌入れは何度もトライしてきたのでしたが、自分で作った曲であるにも関わらず自分で納得のいく歌唱ができずに匙を投げたのでした。そこで僕が考えたのはどうせこれから曲作りを続けていくのならほぼその数だけ歌を入れていくだろう、それならば歌が満足に歌えるようになっていた方がよかろう…ということでした。

そしてYouTubeを見漁り、自分が信頼のおけそうなボイストレーニング講師を探し、その講師がアップロードしている「毎日10分」シリーズを実践し始めたのがおよそ3ヶ月前。ほぼ毎日欠かさずそれに取り組んできた結果、今まで歌えなかったような歌が歌えるようになってきた今日この頃です。

そうし始める前は闇雲にとにかく歌いまくる、ということをしていました。自分はそういったタイプの人間ではないと思っていながらにして、いや、だからこそというか、そういった「オスの強さ」みたいなものにコンプレックスがあることは自覚しているから所謂、スポ根精神というか、スパルタ精神というのか…言い方はさておき、そういった姿勢でガチガチに取り組んでいました。

しかし、やれどもやれども全然上達している実感がない上に、顎が痛くなったり、耳管開放症という病気にかかったりで散々でした。そんな経緯もあります。

なので、だんだんと自由に歌が歌えるようになってゆくことがまるで自由に羽ばたく翼を育てているような感覚で、辛抱強く練習するという事にはやはり大きな価値があるのだなと実感しています。しかし辛抱強く練習してもその方法が間違った方向であれば思うような結果は得られないわけで、やはりこの情報が溢れる現代ではまず適切な情報集めてそれを基ににことを進めるほうがベターなのでしょう。何よりも日々精進しているのに空回りしてエネルギーを浪費しているような期間はとても苦しいものです。

イチローが引退会見で言っていたことで印象に残っていることがあります。「今振り返れば、あのときは遠回りだったなと思うようなこともあるが、その遠回りがあったからこそ正しい方向が分かったのでそれらは決して無駄ではなかった。」というような旨の言葉。

今の僕だとその言葉の意味がわかるような気がします。なので最近は少し前よりもいろいろなことの練習や鍛錬などを楽しんでやることができているような気がしないでもないのです。

 

話が逸れてしまいましたが、とにかくある程度、前よりも自分の歌唱に自由が利くようになってきたのでさっさと上述した曲たちに歌を入れれば良いのですが、そのときに結構悩んでいたせいもあり、その曲たちに苦手意識があることに気づきました。トライするのが怖いのです。「じゃあやめちまえ」と自棄になっても仕方がないし…。

なので、リハビリ(?)のような感じでそのプロジェクトをパソコンの画面に立ち上げて、足りないように思える楽器を足してみたり、各種エフェクトを調整したりしています。

 

いや、マジでやんないとな…。